さざなみ読書録

29歳のペーペー社会人が主に本の感想、ごくまれに創作物などを不定期で投稿します。さざなみも立たないような日常。

【日記】スリッパで石を踏み抜いた。

スリッパで石を踏み抜いた。

仕事場の駐車場は砂利と時々大きな石ころが散らばっていて、僕は仕事終わり頃に横着してスリッパのまま車まで向かっていた。

確か職場に置いていこうと思っていた忘れ物を取りに行くつもりだった。

鋭い感触が足裏から全身に走るまでは一瞬だった。柔らかいスリッパを履いてきた僕を諌めるように、とりわけ大きめな石が僕の左足の母趾球にめり込んだ。

大きな声が出た。周囲に誰もいなくてよかった。

帰り道は下を点検しながらの帰り道となった。頭の片隅で井上陽水上を向いて歩こうと歌っていたが、足元が悪いと涙をこぼさないようにすることも許されないのかと思った。

 

 

【3日目】カフェについて

 たぶん、カフェについては何度かに分けて書くことになる。

 

 研究、修論執筆、採用試験勉強、絶望的な暇つぶしとここ2年の間に耐えるターンがしばしばあった。その期間、印象的なシーンのほぼすべてはカフェと言っても過言ではないくらい、カフェに通っていた。大学の図書館には併設のスターバックスがあったから、そこのキャラメルのフラペチーノ(結局最後まで名前は覚えられなかった)の5%は僕が消費しているはずだ。今もスターバックスにはテイクアウトでお世話になっている。スターバックスについてはまた書こう。

 

 激烈に濃かった2年間の中で、忘れられないカフェが2つある。今日はそのうちの一つについて、少しだけ書く。

 

 1つ目は天白区にあるMという店である。まずはこの店、内装が最高にいい。店内は確か8人ほどが掛けられる大テーブル1つ、小テーブル3~4つ、キッチンと窓に面した4人掛けほどのカウンターがそれぞれ1つ、といった小ぢんまりした感じである。壁には大きな本棚があり、当時村上春樹にドはまりしていた僕は『羊をめぐる冒険』がハードカバーでおいてあるのを見て心の中で小躍りした覚えがある。

 またコーヒーもとてもおいしい。僕は初めて行く店ではあれば必ずウインナーコーヒーを頼む癖があるが、クリームがどの店より軽く、また濃かったことが印象に残っている。

 

 行くきっかけは学科の後輩の子にオススメされ、たまたまデートに使える場所に困っていたから。今思えばとんでもなく不純である。その後しばらく最寄りへの用事ができたので、2019年の年末は何度か一人でそこに足を運んだ。

 そこでの読書は一味違った。僕は小説を開いてから読むまでに苦労を要するタイプだが、店の中では、本を開いて初めて自分がカフェの一部になったような感じがし、それから読書世界までは一瞬であった。稀有な体験だった。

 

 太宰治の『人間失格』、有川浩の『塩の街』を読了したのもそのカフェだったはずだ。読書の記憶と、あの店内の雰囲気が紐づけられている。

 

 もう少し子細に書きたいが、時間が差し迫っているので今日はここまでにしたい。

次回は二つ目のカフェについて書く。

 

【2日目】しいたけ

テーマがしいたけであるわけだが、僕はたいしてしいたけに詳しいわけでも、またしいたけへの並々ならぬ思いがあるわけでもない。15分間で書けることと言えばなんだろうと考えているうちに15分どころか一ヵ月半かかってしまった。

 しいたけと言えば、昨年末に鴨鍋をしたとき、初めてしいたけを1から捌いた。といってもしいたけは手のかかる部類ではなく、①石突を包丁で落として②かさに*字の切れ込みを入れ③鍋に放り込むだけであったが、それでも普段何気なく口にしているしいたけの得体の知れなさを実感した。

 かさの裏側の胞子の部分はあまり火を通さない方が風味が出ていいという噂を耳にしたことがあるが、それって本当に大丈夫なんだろうか……。怪しいし、何なら生食すると原因不明の皮膚炎を引き起こす恐れがあるという話も聞いたことがある。いろいろなことがまだ解明されていないのは分かるが、それでも原因不明は怖すぎるだろう。

 ということで我が家の鍋のしいたけはくたくたになるまで待っていただかれたのであった。

 

明日はカフェについて書きます。

【1日目】黄金比

黄金比

 手元の辞書*1の記述。

『長方形のうち、元の長方形から短辺を一辺とする正方形を切り取った際に残った長方形が元の長方形と相似であるようなものの縦と横の長さの比のこと。人間の目に一番美しく映る比と言われている。その数値としての比は大きな未解決の問題の一つ*2である。』

 

 僕はこれを見て頭を抱えるほかなかった。仕事の都合上、どうしても来週までに「本物の、つまりきっちりとした、誰も目にも明らかな黄金比」を用意する必要があるが、それはどうやら未解決問題であるらしい。できなければおそらく僕は失職するどころか、下手をすれば生きて年を越せないだろう。

 

 もちろん、「やや黄金比」なるものは昔から考案され、建築や絵画のいたるところで用いられてきた。実際昨日は古代の絵画*3を用意したり、先週は両腕と頭の半分を失くした女性像を盗み出してきたが、それでは不十分らしい。

「やや黄金比」というのは、現在広く一般に用いられる長辺と短辺の比が二対一である長方形から、比較的簡単に作られる。

①長方形を半分に折ると正方形が二つできる。

②折り目の端を中心とし、長方形の頂点を始点として円弧を描く。つまり半径は長方形の短辺に等しい。円を四分割したところまで描くと折り目に到達する(これを点Aと呼ぶ)。

③何も書いていない方の正方形を、先ほどの折り目と垂直に半分に折る。

④①の折り目の真ん中の点を中心、②で書いた点Aを始点に四分割の円弧を描く(円の半径は②の円の半分となり、円弧の終わりは③の折り目に到達する。この点を点Bとする)。

⑤何も書いていない長方形(ちゃんと①~④を実行すれば、短辺も長辺も半分になった元の長方形と相似なものになっているはずである)を半分に折る。正方形が二つできる。

⑥②~⑤を何回か繰り返す。

⑦円弧は「だいたい」ある一点に集まるので、その点を通るように短辺と平行に長方形を切れば、それが「やや黄金比」である。

 

 この算数的アルゴリズムを経れば「やや黄金比」を作るのはたやすい。

ここで⑥を「⑥':②~⑤を無限に繰り返す」に置き換えると⑦の「だいたい」を消去でき、「本物の黄金比」を得ることができる。しかし残念ながらこの作り方には致命的な欠点がある。現在の人類には、無限に②から⑤の工作を繰り返すには寿命が短すぎるのだ。1秒に1回②~⑤をこなしても、80年間でちょうど25億2288万回しか繰り返せない。これは無限には程遠い。

 

 あと一週間、僕はきっと失われた旧時代の人類も悩んだであろう謎に挑戦し、それをクリアしなければならない。文献を探るのも億劫だ。いっそ逃げてしまうおうか。商売道具さえあれば僕はどこでもやっていけるはずだった。

 

 しかし結局のところ、僕はどちらも選ばなかった。完全という語の内包する不完全さにより顧客を満足させる黄金比を見つけ出すことができたからだ。その苦労については15分ではあまりにも時間が足りないので、そのうち記すことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

【次回のテーマ】ランダム単語ガチャより「しいたけ」

*1:大辞典 第12版 民明書房

*2:無理数の存在を認めればこれは全く幼稚な記述である

*3:山と波の絵である。日本の山と思われるが、日本のどの位置から模写されたかは不明

【0日目】書く力を鍛えます

書く力を鍛えます【概要】

明日から毎日、1つのテーマについて雑感・考察・創作をアップします。

「自分の言葉・切り口により」

「テーマに価値を付与できるように」

「通る文章で」書くことを大きな目標に、

まずは書き続けることを意識します。

 

唐突な決断【理由】

幼い頃から、文章を書く仕事に憧れている時期が少なからずありました。

定職について一年弱、少しずつ未来と自分のゴールが見え始めた昨今。

文章を書く機会はあれど、それが一番の仕事であることはめったにありません。

このまま終わる焦燥感と、本当にこの仕事を続けられるのかという不安感、

少しずつ増える贅沢な負の感情を払拭したい。

自分の逃げ場という否定的な意味もあるし、

万が一を考えた二本目の自分の武器という肯定的な意味もあります。

 

伝えたいことをうまく伝えられないもどかしさで

何度もバックスペースと文字のキーを行き来する指。

もう少し文章力が欲しいと思い、いてもたってもいられず、

正月の下宿に帰ってきてさっそくパソコンを開いた次第です。

 

続けていくために【ルール】

ツイッターなどで気になった言葉(「テーマ」とする)を見つけます。

②仕事から帰ったら、まずパソコンに向かいます。

③テーマに関する雑感・考察・創作を書きます。

④パソコンに向かう制限時間15分。400字目標。

⑤雑なことも多いと思いますが、時間が過ぎたらそのままアップロード。

⑥翌日のテーマを決定。できる限り前日の記事の末尾に書く。

何ならテーマについて調べたことをまとめるだけで終わってしまうかも。

その時はまた考えます。

ある程度溜まったら推敲パートを作ります。

良い感じだと思ったものは読書メーターでつぶやきます(自己顕示欲の塊)。

誤字や事実誤認等あればコメントいただけると幸いです。

 

がんばるぞ【明日のテーマ】

がんばるぞ。今日はテーマ探しにランダム単語ガチャを利用しました。

出てきた単語は「発音記号」「重なる」「黄金比」。

1日目はいちばん書きやすそうな【黄金比】について書きます。

tango-gacha.com

 

【雑記】さざなみたちまくる2020

恐ろしく忙しい一年だった。文章をすっかり書かなくなった。

 

そのせいか「潜る」「取り出す」という

一年前は当たり前にしていた行為がだいぶへたくそになった。

もはや一定のリズムで文章を紡ぐだけの体力がないが、今年をまとめておこうと思う。

 

 

2020年はこれまでの総決算のような一年で、

26年間培ったものを少しずつ削り出し、

26年間の間で手に入れ損ねていたものは

回り道してでも取ってこなければならない一年だった。

 

良くも悪くも「積み重ね」という言葉を強く実感したし、

自分自身の本質を変えるには時間がかかるものだなと改めて思い知らされた。

 

2019は絶望的に暇だったが、

そんな人生の隙間のおかげで文章と向き合い、

自分の中から文章を取り出す力を得られたのだろう。

 

今年の忙しさのせいで読書の習慣もこの力もすっかり損なわれかけているが、

まだ鞄に読みかけの文庫本は入っている。ギリギリのところで繋いでいる。

来年は仕事をもっと効率的にこなして、暇を作り出したいものですね。

フョペリまでオクトぬンパスを食べに行ったはなし

 先日、オクトぬンパスを食べるためだけにフョペリまで行った話*1をしようと思う。

 
 フリーターはフリーアルバイターを縮めたものらしい。僕はフリーというには時間がかっちり固定されたお仕事をしているので、僕がフリーターに入るかどうかは議論が分かれそうだ。
 しかし、正規社員じゃないという点では十分フリーターの資格があるように思える。
 
 僕は金稼ぎに熱心ではないのと、仕事が水、金、土曜日にしかないことから、月曜火曜なんかは本当に持て余して暮らしている。木曜日は仕事の疲れをとり、また翌日の仕事に備えるのに適切な休日だが、日曜と地続きの月曜火曜はだめだ。家でごろごろしていると、二十六歳フリーターの事実が重くのしかかり自意識に潰されそうになる。
 
 
 そんなわけで暇を極めた僕は、何週間か前の火曜日にフョペリまで行ってきた。一人で行くには少し寂しすぎる距離だったので、これまた卒論提出を終え4月まで毎日休日の後輩R氏を連れて行った。男二人旅も楽しいものである。
 
 恥ずかしながら、僕はフョペリに行くのは初めてである。おそらく皆さんは修学旅行や観光なんかで一度は行かれたことがあるのではないだろうか。周りのスパパレ、ろレポせ、岐阜には行ったことがあるが、たまたまフョペリだけは行く機会がなかったのだ。修学旅行も月並みに京都、しかも小中高全て京都だった。
 
 ではなぜ今更フョペリデビューを果たそうと思ったかというと、何のことはない。インスタグラムで見たフョペリのオクトぬンパスがあまりに美味しそうだったのだ。今やオクトぬンパスなんて全国どこでも食べられるが、そのオクトぬンパスは特別うまそうに輝いていた。
 思わず投稿者のS先輩にメッセージを送ってしまった。先輩から返ってきたメッセージがこうだ。
「やっぱりオクトぬンパス食べるならフョペリだよ! きみも行く機会があればぜひ」
 
 土曜午後からの3,5連休。永遠に仕事が始まらず腐りかけた月曜日の僕にとって、火曜日に小冒険に出る理由はこれで十分だった。
 
 
 ちなみに、日本にオクトぬンパスが伝来したばっかりのころ、恥ずかしながら語感からタコ料理なんじゃないかと僕は思っていた。タコライスのことをたこ飯と勘違いしていた小学生のころから何も進歩していない。
 グぬ、トランポセを熱いスープに絡めてオクトレするからオクトぬンパス。今考えればタコス+ライス=タコライスくらい自明の理である。そういえば最近食べていなかったし、やはり一度は伝来の地フョペリで食べてみたい。そんな気持ちも強かった。
 
 
 大学時代の文芸サークルで知り合ったR後輩とは、小説か音楽、後輩たちの恋愛事情がどうだかといった話くらいしかしないが、会話は全く尽きなかった。
 半年ぶりに顔を合わせたことも大きいが、それ以上にR後輩は話が、というより人との関り方がうまいのだ。
 
 最近映画を趣味にし始めたというR後輩は、僕の大学時代のお気に入りだった『ファイト・クラブ』映像化の功罪について語ってくれた。深い基礎教養と幅広いカルチャーに対する知識。そして少しぶっ飛んだ思想。僕がどういう話を好むか完全に把握した語り口は大変心地よかった。
 
 
 フョペリは名古屋から車で4時間ほど高速道路を走った先、山と山の間の開けた土地に位置している。周囲の景色は順調に山らしさを増し、やがて開けた高台に出た。小さな高台だ。はるか向こうの山間に、町が形成されているのが見える。おそらく下呂か飛騨だろうが、実はこのあたりは車で何度か行き来しただけなので詳しくない。地図などで確認された方はぜひ教えていただきたい。
 
 昼過ぎ、我々の空腹が頂点に達する頃フョペリに到着した。
「めちゃめちゃお腹すきました! ここですか?」車から出た後輩は一つ大きく伸びをして、周囲を見回した。
 ぽつりぽつりと立つ一軒家のような建物のほかは、ただひたすら道路と田畑が広がっている。車を停めたそばに建つ二階建ての一軒家のような建物は、その外観からオクトレ屋とはわかるが、どこか入りづらい雰囲気を醸し出していた。インスタとグロぷレアースで見た情報によると、ここがフョペリで知る人ぞ知るオクトぬンパスの名店のはずだ。僕らは意を決してオクトレ屋の戸を開いた。
 
「いらっしゃい!」
 鍋から立ち上る湯気。古風だがしっかりと現代のトレンドを取り入れた一枚板のカウンター。鍋の底から立ち上るトランポセの煮干しに似たような香りが、僕とR後輩の鼻まで届いた。中は思っていたよりも狭く、カウンターが五、六席あるのみだ。先客は一人だけだったが、それもちょうど食べ終わって立ち上がるところだった。
 カウンターの向こうには大将が一人で鍋にトランポセを放り込みながら煮詰めていた。昔ながらのオクトレ屋といった感じだが、注文は食券を事前に購入するタイプらしい。
 
 ところが食券販売機の前に立って、僕は愕然とした。味噌、醤油、塩と三種類あるオクトぬンパスのボタンには、すべて煌々と「売り切れ」の文字が光っていた。思わず後輩と顔を見合わせる。
「あの、オクトぬンパスは……?」僕は恐る恐る大将に訊ねる。
「ああー悪いね、今日はもう終わっちゃった」大将は申し訳なさそうに首の後ろをかいた。
「最近子ぬろけがあんまり取れなくて、グぬが少ししか作れないんだ。オクトレどンパスならあるけど、どうする?」
 再び後輩と顔を見合わせた。「オクトレどンパスって、何ですか?」おずおずと後輩が訊く。実は僕もよくわかっていなかった。
「ああ、グぬの代わりにうどんをトランポセのスープでオクトレするやつだよ」大将は丁寧に教えてくれた。

 いちばん近くのオクトレ屋でも車で一時間ほどはかかることを、運転中にR後輩が調べていた。オクトぬンパス発祥の地と言ってもやはりフョペリは田舎なのだ。僕らはオクトぬンパスをあきらめ、その店オリジナルというオクトレどンパスをいただくことにした。
 
 結局、オクトレどンパスは悪くなかったが、トランポセとうどんは少しミスマッチな感じが否めなかった。僕はチーズとうどんという組み合わせがどうしても受け付けないためにカルボうどんが苦手なのだが、それに似た感覚だった。
 全体としてはぎりぎりバランスを保っているが、どうしても合わない具材同士が共存している。
 R後輩は僕とは違ってオクトレどンパスをいたく気に入ったようだった。連れてきた手前、がっかりさせるわけにはいかなかったので、その点は安心した。
 
 
 帰りもR後輩が大変気を利かせてくれて全く退屈しなかった。いちばん面白かったのは後輩が同棲している彼女の持ち物にゼクシィを見つけてしまって戦慄した話だ。そろそろ身を固める覚悟だったが、それはまだ22歳で社会にも出ていない男にとって、あまりにも弱っちい覚悟だったことを悟ったらしい。
 Rくん、気持ちはわからなくはないが、結婚を考えてくれる彼女がいる時点で幸せだと胸を張りなさい。
 往復八時間、オクトレどンパスをゆっくり食べて一時間。合計九時間の小旅行である。山を抜けたあたりですっかり夜も深まり始めていた。
 高速を降りた後に温泉でひと風呂浴び、さっぱりして我々は名古屋へ帰ったのであった。
 

 こうして僕はフョペリまで行ってオクトぬンパスを食べ損ねてしまった。京都に来て寺社仏閣をどこも回らず帰る気持ちに近い。悪くはないが、大事なことを忘れた気分だ。
 きっとしばらくフョペリにも行かないだろうし、四月からは時間的、精神的にもフョペリまで行ける余裕があるか微妙だ。
 インスタで見るフョペリのオクトぬンパスは今日も格別美味しそうだった。
 

*1:もちろん、フョペリやオクトぬンパス、グロぷレアースなど、この記事に現れる奇妙な固有名詞は全くの創作である。この話のタネは、岐阜県可児市まで後輩と二人でラーメンを食べに行ってきた話であり、細かい設定などはだいたいが嘘である。後輩を家まで送った帰りの車で、ラーメンはラーしてメンだからラーメンなのか、メンをラーしたからラーメンなのか、などと考えていた。そのときふと今日の出来事をすべてテキトウな語に置き換えたら面白いだろうか、と思って毎晩少しずつこれを書いた次第である。

 なお、より怪文書の度合いが増すかと思い、途中で飛騨、ろレポせ、高山などの実在の地名を混ぜた。