さざなみ読書録

29歳のペーペー社会人が主に本の感想、ごくまれに創作物などを不定期で投稿します。さざなみも立たないような日常。

台無しにした昨日は帳消しだ

ハックルベリーに会いに行きたいですね。

今日から仕事上の精神的メモも臆面なく載せていきます。

 

 

仕事柄、僕はそれなりの人数の前で偉そうに喋らないといけないときがある。というか、かなり多い。

連絡をするのとは違って、喋る、というのがまた難しい。

しかもその瞬間は不意にやってくることがほとんどだ。だからネタは常にいくつか持っておかないといけない。

 

ネタ出しはたいてい車か風呂の中。

 

たとえば、自分の失敗を自虐にならない程度にまとめ上げてみる。根暗の特徴、独り反省会もこんなところで活きている。

 

「人間のすることに絶対はない」というのが恩師の教えの一つだ。だからミスを前提にチェック体制を整えましょう、という意味である。

 

実際に今日僕もやらかした。報告した数字が一つ間違っていて、しかもその一つは緊急性こそ低いものの、当事者にとれば、そこそこ意味のある一つの数字なのだ。

気付いたときには先の展開のあれやこれやを想像して自分の不出来を嘆くのだが、絶賛働き方改革中の僕はふと考えた。

 

いや、自分に対して狭量すぎやしないか? と。

 

もし逆の立場だったら。

そもそも、その数字はこちらが数えておくべきものなのだ。一つ間違っていようが報告してくれて助かるし、そのミスにマジか、くらいは思うかもしれないが責めたりするほどではないだろう。

(このマジか、が辛いのだがそれくらいの評価ダウンも許せないくらいの狭量さにも辟易するのだ。そんなに完璧人間である必要があるのか?)

 

失敗を恐れすぎとも言えるだろう。

 

寛容な社会になればなるほど、誰かが神経を使って調整しなければならなくなることが多いように感じるが、僕は神経を使いすぎなんだろう。

もう少し自分の仕事に関して寛容になりたい。

 

 

「人間のすることに絶対はない」というのは、ミスはしょうがないからリカバリー力(寛容力も含めた!)を身につけなさい、というメッセージもともに孕んでいるように感じた。