【感想】『ロマネスク』(『奇想と微笑』より)太宰治
『奇想と微笑 太宰治傑作選』(森見登美彦 編)
を読んだ。
森見登美彦氏は高校のころ読書にはまったときも大学院で読書を再開したときも、まず最初の一冊になった人だ。いわば僕の読書の門のような存在である。
この本はそんな登美彦氏が敬愛する太宰治の著作のうち、「ヘンテコであること」「愉快であること」を主眼に選んだ傑作選とのこと。
確かにどの作品も喜劇が根底にあり、世の中を暗くとらえる太宰の視点もおかしさを感じさせて面白かった。
今回はその中でも特に好きな作品の一つ『ロマネスク』について、短くまとめておこうと思う。
『ロマネスク』
初出は1934年。青空文庫から全文が読める。太宰治 ロマネスク
ざっくりあらすじ
仙術太郎、喧嘩次郎兵衛、嘘の三郎が強力な能力から盛衰する様子をそれぞれ描き、最後に三者が出会う。
仙術太郎
庄屋の一人息子の太郎は、幼いころから予言をしたり村を救ったり仙術を身に着けたりと、人知を超えた芸当を軽々と繰り返す。
しかし恋をしたのが運の尽き、仙術でイイ男になろうとした結果、さながら仏像のような「天平イケメン」になってしまう。時代によってイケメンとは移ろう概念であることを太郎は悟った。
戻ろうとしても私利私欲のために使った仙術は二度と解くことができず、太郎は物思いに耽りながらふらりふらりと歩いてゆくのだった。
喧嘩次郎兵衛
酒屋の次男である次郎兵衛は、居酒屋の客からはやし立てられ、喧嘩に強くなることを決意した。
三年の研究と修行の結果、次郎兵衛は父親から火消し頭の名誉職を受け継ぐことになる。周囲の人からどんどん信頼を集め、喧嘩したくても機会は一度も訪れない。
結局喧嘩する機会のなかった次郎兵衛は向かいの娘と結婚する。ところがある晩たわむれに嫁に喧嘩のふりをして見せると、当たり所が悪く殺してしまう。
次郎兵衛は牢屋に入るが、落ち着き払った態度は誰も馬鹿にすることを許さず、その人知を超えた強さの真価が発揮されることはなかった。
嘘の三郎
中国宗教を研究する父のもとに生まれた三郎は、隣の犬を殺し、遊び仲間を川に落として殺してしまうが、誰にも殺したことがばれなかった。罪の意識からどんどんと嘘を重ね、それは次第に人知を超えた域に入る。
やがて父が死んだ。その遺書と遺産に塗りたくられた嘘の、あまりの醜さにばかばかしくなり、三郎は嘘偽りのない生活をしようと心に決める。
しかし「嘘のない生活」自体がすでに嘘のようなものである。最終的にただぼーっと日々が過ぎるのに任せた三郎は、ある日朝から居酒屋に入っていく。
そこにいた二人の先客こそ、『驚くべし、仙術太郎と喧嘩次郎兵衛の二人であった。(原文ママ)』ここで三郎の才能が一気に爆発する。この人知を超えた才能人たちの半生を本にしてやろうと息まき、物語は幕を下ろす。
感想
何よりもエンターテイメント的な要素が強く単純に面白い。
波乱万丈で一筋縄ではいかない三者三様の半生だけでも十分満足なのに、それ以上に最後三人が出会う展開が非常に熱い。
さながら鳥山明先生の描く読み切り漫画のようだ。
これから先、三人にいったいどんな物語が訪れるのか。
ワクワクさせる上手い書き方、終り方だなあと感心しきるばかりだった。
次に、「人間の手に余る能力を身に着け、身を滅ぼす」という構造が三兄弟*1に一貫しているのがすごい。
太郎は仙術を手に入れ、様々なものに化けるまではよかった。恋をしたのがだめだった。
次郎は修行を重ね、喧嘩に強くなるまではよかった。それを披露したいと思い続けたのがいけなかった。
三郎は代筆や著作で金を稼ぐまではよかった。嘘の持つ厭らしさに気づいてしまったのが悪かった。
この並列構造が物語を分かりやすくし、かつ同じ(読んでいる時は全く同じだとは思えなかったが)展開を重ねることで深みを出しているように感じる。
どんな力も使いようである。
僕はさいわいにも凡を極める部類の人間なので、きっと三兄弟のような人知を超えた力を手にする機会はないだろう。
それでも大なり小なり人に影響を与えることはあるはずだ。
特に来年度からは多くの人に関わる仕事に就くことが決まっている。
力を持つことになる。今もその準備期間のようなものだ。
その力を私利私欲のために使わないこと、見せびらかしてやろうとしないこと、うまく付き合っていくこと。当たり前のことだが、大事なことだと改めて思った。
慎ましく生きよ、と痛快な物語の幕が下り切った劇場で、太宰がささやく声がした。
裏読みしすぎかもしれないが。
*1:もちろん兄弟ではないが、三郎が『私たち三人は兄弟だ。』と言った表現に倣った。