さざなみ読書録

26歳の新米社会人が主に本の感想、ごくまれに創作物などを不定期で投稿します。さざなみも立たないような日常。

【創作】分水嶺

分水嶺』という掌編小説を書きました。

分水嶺というのは、こういう水の分かれ目みたいなもののことです。

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フリー写真サイトで見つけた分水嶺。「T字型」に見える。

湧いてきたイメージと「分水嶺」という言葉をはっきりさせるため

片手間でわかる程度のことは、

と調べてみましたが

余計混乱する結果になりました( 分水界 - Wikipedia しか見ていません)。

 

つまり僕の書く分水嶺は僕にとっての分水嶺であり、

分水嶺の専門家がいらっしゃれば非常に腹立たしい、

あるいはむず痒い思いをされるかもしれません。

その責任のすべては僕にあります。以上前書きおわり。

 

 

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 気づくと僕は、いつも分水嶺の上を歩いている。

 右足を包む水は後ろから流れ、右斜め前へと進んでゆく。左足を通り抜ける水は左斜め前だ。両足の間には、水を左右に分ける境目がずっと長く伸びている。一般的なT字型の分水嶺と違い、Y字型とでもいうべきか。不思議と右と左の水系のあいだには、どこまで行っても跨げるほどの細い境しかない。しかし大きな境だ。左足に流れる水は、二度と右足に流れる水にはなれない。逆もしかり。広い広い海に出て混ざり合ってしまったとき、はじめて再開を果たすのだろう。それが明日のことか、一か月後のことか、そもそも水路は行き止まりで、起りえないことなのか僕にはわからない。

 ぱっと見分水嶺とは思えない水流に足を浸していることもある。T字の横棒と縦棒との交点にある一般的な分水嶺、その点が無限に細長く伸びている感覚だ。

 そういうときは、右と左の足を流れてゆく水流の違いを感じる。この感覚のみで、細長く流れる水たちが、近い将来違う水系に属することを知る。

 とにかく大事なことは、足を冷やす水は進路が決まっているということだ。両方に片足ずつを浸す僕はまだ決まっていない。

 

 その日僕が歩いていた分水嶺は、どうやら義と不義の分かれ道であるようだった。

 

 僕は風呂の中でうとうとしていた。悩みを抱えながら風呂に入るとすぐ眠ってしまう。幼いころからちっとも直らない僕の悪癖の一つだ。

 午前十二時半。とっくに終電が過ぎたころ、友人の彼女が家に転がり込んできた。就職活動がうまくいっていないのか、リクルートスーツ姿のまま相当酒をあおったようだった。彼氏はどこだ、今日は泊まるから悪いけど帰ってくれ、などぶつぶつ言いながら、そのまま充電が切れるように玄関で眠り込んでしまった。

 酔った彼女は忘れているかもしれないが、このワンルームはつい先週からは僕の家だ。友人は就職し駅三つ向こうの町に引っ越している。大学に通うという観点から、このアパートは理想だった。そのまま通っていた大学の大学院に進学した僕は、この部屋を彼に譲ってもらった。彼女も十分知っているはずだった。

 どれだけ揺すっても、彼女は寝息を立て続けるばかりだ。僕は仕方なく彼女を抱え、ソファの上に寝かせた。

 泥酔したリクルートスーツの乙女は、それはもう無防備をかたちにしたようなものだった。彼女が友人と付き合う前、僕との間にあったことを思い出し、ついよこしまな気持が現れそうになる。落ち着け。僕はまだ風呂に入っていなかったことに気づき、逃げるように洗面所に向かった。何も考えないように湯船に沈み、今に至る。

 

 夢の中で幾通りもの現実の続きを営んでいた僕は、夢と夢の間に横たわる一瞬の幕間を挟んで、突如水流の上にいた。僕の五感が、これは夢とは全く密度の異なるものであると告げる。足もとには境目がない。ただ右足には右斜め前に、左足には左斜め前に水が流れている。分水嶺――僕の頭の中に三文字が浮かんでいた。

 義と不義の分かれ道。なんとわかりやすい人間であることか。僕は自分の単純さを誰かに言い当てられたような気がして、水流の上で一人苦笑いした。

 不義の道、もちろんそれが右側であるか左側であるかはどちらでも構わないが、ここでは便宜上、左側を不義としておこう。不義の道のほうが少し傾斜が強く、足を踏み外しやすい。僕の左足は必死に踏ん張っていた。逆に右足は右足で、流れる水に磨かれた岩が、反対側に足を滑らせろと言わんばかりにつるつるしている。右足を滑らせないために、普段使わない筋肉がぴくぴく動いていた。

 僕はこの比喩的水流に両足を浸し、水の進むどちらかの方向へ歩かねばならないようだった。一歩ずつ足を進めるたび、左右の水が流れを強くする。水流は目に見えない力で僕を左のほうへと引っ張ろうとしている。

 僕は自分の置かれている状況と、自分の精神が置かれている状況をはっきりと認めた。認めるや否や、左の水流に逆らって左足を大きく浮かせ、右側に体を倒した。不義の水流に逆らうのは一度きり、それも一瞬でいい。ばしゃりと水音を立て、僕は右側の緩やかで穏やかな水流に流されていく。あとは義の流れが僕をあるべき方向へ導いてくれる。いつもこうして分水嶺から離れていく。

 

 風呂から上がった僕は、髪を乾かしながら友人に連絡した。「ごめん、迷惑をかけた。ありがとう、すぐに迎えに行くからサイゼにでも投げ出しておいてくれ」と、すぐに友人から返事がきた。

僕は湯を沸かして友人の彼女を起こした。二つのカップに即席の梅昆布茶を注ぎ、片方を彼女に渡す。彼女は痛む頭を押さえていた。少し酔いからさめたらしい。

「向かいのサイゼリヤまで彼氏を呼んでおいたから、早く帰るといいよ」と僕は言った。

「ごめんなさい、迷惑をかけたようね」彼女は梅昆布茶を少しすすると、苦い顔をして立ち上がった。すっかり忘れていたが、彼女は梅昆布茶が嫌いだった。

「水でも飲む?」

「ありがとう。でもサイゼで何か頼むから大丈夫よ」彼女はバッグの中身を確認して、玄関に向かって歩き出した。ふらつく足でサイゼリヤに向かう彼女の後ろ姿を、僕は黙って見守っていた。

 

 

 しかししばらくすると、しばらくというのは明日のことだったり一か月後のことだったりするのだが、僕はまた分水嶺の上に立つことになる。どうやらまた義と不義の分水嶺のようだ。友人の彼女に関することに限らず、僕の周りには義も不義も掃いて捨てるほど転がっている。

 今回は困ったことに、どちらが義でどちらが不義か測りかねた。右と左、どちらも同じくらいの傾斜を持ち、悪意を感じるほどつるつるしている。義か不義かは、右か左か、という区別と対して変わらない気がしてきた。僕の右は、あなたから見たら左。

 ばかばかしい。僕はやけくそになって、とにかく僕から見て右に体を倒した。分水嶺から離れる。一瞬の葛藤。終わり。

 広い海に出られる気配は今のところない。